インド旅行記 涅槃の地
覚りをひらた後、45年の間多くの人々に説き聞かせ、苦しみの海に沈む人々を導き続けてきたお釈迦様は
ここ、クシーナガルの地で亡くなられます

お釈迦様は自分の肉体の衰えを感じ、ご自身の死の時期を弟子たちに予言されていました
その後、鍛冶屋のチュンダという信者から食べ物の供養を受け、その食べ物が原因で激しい腹痛となり
自らの予言通り、三ヶ月後に亡くなられます
お釈迦様は亡くなられる時、この地に生えていた二本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に頭を北に向けて横になられたと言われています
お釈迦さまが亡くなられた地には、現在、真っ白な涅槃堂が建っています
涅槃堂の傍には二本のサーラ樹(沙羅双樹)も見られます

今でもこの地には、弟子達や数多くの信者の悲しみが満ち溢れています
涅槃堂の中に安置されているお釈迦様の涅槃像の傍に行くと、涙が流れて、流れて、止めることができませんでした
インドの伝承では、お釈迦さまが亡くなられた日は、2月8日、あるいは2月15日とされています
いくつかの伝承がありますが、中国や日本では2月15日がお釈迦様の亡くなられた日となっています
今回偶然ではありますが、私たちがインドへ出発した日も2月15日でした
こうしてブログを書いている時に気が付いたのですが、不思議なご縁ですね
この後、世界最古の大学、ナーランダ大学の跡地も訪れました

ここは「西遊記」でお馴染みの三蔵法師がはるばる中国から経文を求めてやってきた場所です
ホントに生きるか死ぬかの命がけの旅で辿りついた「天竺(インド)」だったでしょうね
この地で学び終えた三蔵法師は、657部もの経典を携えて、645年、中国に帰ります
2500年前のお釈迦様の教えは、様々な人々の努力で、インドから中国、そして日本へと伝わって行きます
沢山の学びと経験をさせていただいた今回のインド旅行でしたが
不思議なご縁で遠いインドまで行かせていただくこととなり、本当に感謝です
インドにてお世話していただいたナビンとそのご家族
今回のご縁を繋いで頂いた杉原さん
同行してくださった皆さん
み~んなに ありがとー(^。^)
ここ、クシーナガルの地で亡くなられます

お釈迦様は自分の肉体の衰えを感じ、ご自身の死の時期を弟子たちに予言されていました
その後、鍛冶屋のチュンダという信者から食べ物の供養を受け、その食べ物が原因で激しい腹痛となり
自らの予言通り、三ヶ月後に亡くなられます
お釈迦様は亡くなられる時、この地に生えていた二本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に頭を北に向けて横になられたと言われています
お釈迦さまが亡くなられた地には、現在、真っ白な涅槃堂が建っています
涅槃堂の傍には二本のサーラ樹(沙羅双樹)も見られます

今でもこの地には、弟子達や数多くの信者の悲しみが満ち溢れています
涅槃堂の中に安置されているお釈迦様の涅槃像の傍に行くと、涙が流れて、流れて、止めることができませんでした
インドの伝承では、お釈迦さまが亡くなられた日は、2月8日、あるいは2月15日とされています
いくつかの伝承がありますが、中国や日本では2月15日がお釈迦様の亡くなられた日となっています
今回偶然ではありますが、私たちがインドへ出発した日も2月15日でした
こうしてブログを書いている時に気が付いたのですが、不思議なご縁ですね
この後、世界最古の大学、ナーランダ大学の跡地も訪れました

ここは「西遊記」でお馴染みの三蔵法師がはるばる中国から経文を求めてやってきた場所です
ホントに生きるか死ぬかの命がけの旅で辿りついた「天竺(インド)」だったでしょうね
この地で学び終えた三蔵法師は、657部もの経典を携えて、645年、中国に帰ります
2500年前のお釈迦様の教えは、様々な人々の努力で、インドから中国、そして日本へと伝わって行きます
沢山の学びと経験をさせていただいた今回のインド旅行でしたが
不思議なご縁で遠いインドまで行かせていただくこととなり、本当に感謝です
インドにてお世話していただいたナビンとそのご家族
今回のご縁を繋いで頂いた杉原さん
同行してくださった皆さん
み~んなに ありがとー(^。^)
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